日本の絹プロジェクト~うめねの取り組み~


始まりは、国内に流通する絹糸の純国産比率が、「1%未満」という現状
 
 かつて、世界を席巻した日本の絹糸。
 群馬県の官営富岡製紙工場郡が世界遺産に登録されるなど、日本の近代化に多大な貢献した絹糸の生産。近年、新興国の絹糸生産拡大に伴い、年々減少の一途をたどり、いまや国内に流通する純国産の絹糸の割合は、1%にも届きません。
 『本物の日本の絹を広めたい!』
この思いを実現するため、普段より呉服を取り扱い、蚕の恩恵に預かっている私どもとして、何か出来ることはないかと。
そしてたどり着いた最初の答えが、お蚕の餌である「桑の苗木」を植えるという活動に賛同することでした。
と、同時に店舗におきましても純国産シルクを使用した生地を取り扱うことで、日本の絹そして養蚕農家の皆様の支援の一つになると考え、取り組んでいきます。

 

(1)桑を育てる

日本の絹生産の中心、群馬県にて植樹

 
うめねに出来ること。それはお蚕さんの食事を作ること。
世界遺産に登録された、官営富岡製糸場を等、絹糸生産に携わる工場等が集まる群馬県。
まだ雪の残る寒い時期、店長の梅根が桑の木の植樹をして来ました。

 
翌年も参加。残念ながら、コンディション不良のため、植樹はかないませんでしたが、以前植えた桑の木を撮影しました。
 

 

(2)感謝状をいただきました

 

 
日本蚕糸絹業開発協同組合様より、感謝状をいただきました。
しかしながら、これで終わりではありません。桑の葉を餌として利用できるまでに2年。
そして、桑の木は13年に一度植え替えの必要があります。
うめね呉服店として、今後とも継続して協力していきます。

 

(3)純国産の絹糸を作る

~生産、そしてお客様へ~

 
せっかく育ったお蚕。純国産の絹糸をうめねのお客様に知っていただくこと、手に取っていただくこと、そして身に纏っていただくこと。
これらを実現するために、「日本の絹 純国産」の証紙を使用できるよう動きました。
(1)私どもが植えた桑の木・繭の生産管理証明書

 
桑の葉を餌にした蚕より絹糸が出来上がります。
 

新小石丸の繭(見本)

 

新小石丸の絹糸(見本)

※写真はお店にある蚕・繭の見本です。他品種もありますので、ぜひ店頭にて見比べてください。
 
下記の写真は、純国産の絹糸である証紙。厳しい審査を経て発行されるこの証紙の枚数は、生産反数分のみ。再発行の効かないことに、重みを感じます。
 

日本の絹・純国産証紙


 

(4)反物(生地)としてうめね呉服店へ

 
 
繭から取り出した生糸より織り上がった白生地がうめねに届きました。

 

新小石丸の白生地(うめねの証紙付)

 

 
純国産の絹糸を使用していることの証。
うめね呉服店では、この糸でこそ使用する意義のあるオリジナル商品を作成していきます。

 

(5)日本の絹の証紙

 
 ※平成28年2月10日追加
(1)日本の絹マーク
 

和装用シール及びタッグの様式


 
 この 「日本の絹マーク」は、絹製品のうち、日本で製織された白生地並びに日本で染織されたきもの(反物、仮絵羽)及び帯に添付いたします。桑の葉を餌にした蚕より絹糸が出来上がります。(以上、ジャパンシルクセンターホームページより抜粋)
 
しかしながら、使用する絹糸の産地の規定が指定されていませんので、国内に流通するほとんどの絹糸を輸入している現状では、海外産に頼らざる得ません。

 
そこで、純国産の絹糸で生産された商品であることを明確にするため、純国産絹マークが登録されました。生産履歴ならびに登録者名が記載された証紙です。
 
純国産絹マークは、国産の繭から繰糸した生糸等を用いて国内で製織、染織、加工及び縫製された純国産絹製品であることを一般の消費者が容易に識別できるようにするためのマークです。(以上、ジャパンシルクセンターホームページより抜粋)
 

日本の絹・純国産証紙

 

平成26年にうめね呉服店も登録

 

 

(1)現店舗について-移転-

室町~長崎街道の玄関口にある呉服店~

再開発による移転

 室町が長崎街道の起点であることをご存知の方は多いと思いますが、室町は明治維新後も小倉の中心地でした。現ヤマダ電機さんがある場所には国鉄の小倉駅があり、それを中心として栄えていましたが、小倉駅の移転により徐々に衰退していくことになります。
 しかしながら、平成8年より市街地再開発.準備組合、その後室町一丁目地区再開発事業が始まり、街の様子もすっかり代わり少しずつ賑わいを戻してきています。ご存知、リバーウォーク北九州はそのシンボル的なものでした。
 さて、当「呉服のうめね」ですが、平成20年までは、リバーウォーク内セブンイレブン前の信号を挟んだ向かい側、現D.Cタワー(分譲マンションとしては九州2位の高さ145.7m・41階立て)の地にありました。再開発事業のため、移転ということになりましたが、紆余曲折を経て常盤橋たもと、長崎街道沿いの現店舗へと居を移しました。

現店舗正面から

2階は広く空間を確保

元旅館という条件を活かす

 移転先に決まった建物は歴史あるもので、「玉水旅館」として親しまれていました。内装を全て新しいものにはせず、旅館時代の趣を残しつつ、呉服店の店舗として機能するように改装。また、呉服の販売だけにとどまらず、着物を着て楽しめる、交流・イベントも開催できるように意識した空間へと生まれ変わりました。.

小説の駅前旅館
『駅前には、旅館がつきものである。森鴎外の小説「鶏」(豊前小倉版)には、「がらがらと音がして、汽車が紫川の鉄道橋を渡ると、間もなく小倉の停車場に着く。参謀長を始め、大勢の出迎人がある。一同そこそこに挨拶をして、室町の達見という宿屋にはいつた」とある。このあとも、達見は何度か登場する。また同人の「二人の友」にも立見という名前で同旅館が出てくる(明治44年に出した広告に実存した達見旅館の名がある)。同館は、その後、玉水旅館として親しまれた。現在、うめね呉服店の場所。  (地図で見る近代の小倉室町と場内/出口隆著・(財)北九州市芸術文化振興財団発行より抜粋).


 

(2)-特徴ある店へ-

~老舗旅館の建物を活かす~

茶室のある呉服店

 
 着物と向きあう時間を提供しよう。着物を楽しんでもらおう。元の建物を活かそう。これらのコンセプトのもと、出来上がった現店舗では、
 
(1)茶室(2階)

2階 茶室


 茶室のある呉服店は全国的に見ても珍しいのではないでしょうか。普段あまり使われない部屋を確保するという点では、店舗としてはもったいない空間となります。しかしながら、うめねでは先ほど述べたコンセプトのもと、着物を着て楽しむという点では、お茶席というのは非常に身近なものではないかと考えています。とはいえ普段はなかなかお茶席の機会が少ないことから、気軽に楽しんでいただこうと考え、この茶室を使ったイベントを様々な形で開催していきたいと考えております。また、京懐石のイベントなどで、こちらを使用することがあります。お客様の方で、楽しい利用方法等ありましたら、ご提案・ご相談ください。
 
(2)小部屋(1階)

1階 小部屋


 前店舗にはありませんでしたが、現店舗には入ってすぐ右手に小部屋を設置しております。お客様とスタッフとが、ゆっくりと納得がいくまで、呉服の話をしたり、反物などを選んでいただく為の空間です。この道60年の店主を始めとしたスタッフとの会話をお楽しみください。

元旅館の長所・雰囲気を活かす

 1階は店舗としての機能を活かすための内装のため、元の旅館の雰囲気はありませんが、2階へ登る階段・2階の一部分には旅館として機能していたときの名残があります。

2階から階段を写す


(3)歴史を残す
 2階への階段、のぼりきったところ左手の手すりはそのまま残しています。また、各部屋の入口の欄間は以前のままです。各欄間の花は、そのまま部屋の名前として使われていたようです。どれも趣があり、非常に和の雰囲気に合います。その雰囲気を壊さないような内装にこだわりました。

趣のある引き戸


部屋への入口をそのまま残したため、店舗としては少々無駄な空間や使いづらい点もありますが、それをまた愉しむのもよいかと思います。じっくりとご覧になりたい方はお気軽にお声をお掛けください。